南大萱資料室

伝承地丹後之塚跡

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伝承地丹後之塚跡

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図4 伝承地丹後之塚跡碑

(大将軍1-8-1付近)
塚の背景については2説あり、 ①鎌倉時代初期の女流歌人の「宜秋門院丹後(ぎしゅうもんいんたんご)」の塚で、丹後は源頼行の娘で、後鳥羽天皇の中宮宜秋門院の女房として仕えた。『千載集』『新古今集』などに歌を残し、三十六歌仙の一人としてその名を知られている。②平忠房の塚で、忠房は平清盛の長男 平重盛の6男で「丹後侍従」と通称されていた。文治元年(1185年)源氏に捕らえられ、この地で斬られたとあるが、詳細は不明。

ところで、旧東海道の野路に平宗清の胴塚がある。宗清は平清盛の三男平宗盛の長男で、鎌倉から上洛する時、宗盛は野洲篠原で斬首され、平家終焉の地と言われ、宗清は野路に胴塚がある。忠房と宗清は従妹関係になる。

さて、この塚(図ー4)は、裏面に「昭和63年(1988年)移築 瀬田史跡会 塚跡 北方百三十米」、また側面に「昭和38年(1963年)9月建立 瀬田町文化協会」とあって、なにやらややこしい。後日、『新修大津市史第9巻』、『唐橋遠近』、瀬田町文化協会誌『静流(15)』に、塚に関する写真や解説を見つけ、以下のような経緯であることがわかった。 

  
現在の塚北方130m付近の田中孫八さんの田に明治末期まで「丹後侍従塚」というのがあった。久保萱堂氏は、神事9月25日として祀られていること、和歌の位置より此処に隠棲している様に思われることで、宜秋門院丹後の墓だと思われると解説している。『静流(16)』に、大橋清三氏は久保氏の見解とは異なる丹後守平忠房説もあること、近々本会が発起となって塚を建立すると書いている。田の真中にある塚を人通の多い浜街道長沢川交差点付近に「宜秋門院丹後之塚」「塚跡 東北方五百m 昭和38年9月 瀬田町文化協会」で建立された。移築か新築かは不明。その後、昭和63年に長沢川堤防改修工事のため、塚を除去することになり、表裏両面を研磨し、丹後守忠房説も取り入れて標石の名称を「伝承地丹後之塚跡」に改め、塚跡の所有者阪口一左衛門氏が達筆をふるわれ、現在地に移築された。

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